最初で最後の悲劇に

かなしい歴史を未来の平和へ・・・

いまここでこれまでとこれからを見つめ 未来へのやさしい一歩を – Let’s think about Past and Future, and let’s take concrete heartful action.-

Nagasaki ~with my memories~


広島から遅れること3日、8月9日により強い爆発力をもった「ファットマン」と名付けられたプルトニウムの新型爆弾による被害を受けてしまった長崎。より強い爆風を受けているらしいのに 西に位置するためか、昔から和洋様々な祈りの場があったせいか?広島に較べて大きく伝えられることが少ない。初めて訪問できたのは落ち着きのない息子と2人で私が30も半ばになってから。一人で歩けたのもそこから数年経てたった半日ほど。じっくり感じたとは言い難いけれど魅力的な街だと感じることが多かった。グラバー邸のふもとでガラス細工をしたり誰も居ない夜中に眼鏡橋をじっくり見たり。古い素敵な大きな教会が多く、クリスチャンでなくてもありがたい心もちになる。

被爆地長崎としての情報は 長崎市 平和推進課 被爆継承課によるサイトマップ | ながさきの平和【公式】 (nagasakipeace.jp)

https://nagasakipeace.jp/sitemap/ などから辿りやすいです。ここには私の歩いた長崎の光景を。

 広島のドームのように大きく目立つ遺構はないけれど、街のあちこちにその威力のすごさを物語るものが散在している。浦上の天主堂はその昔は東洋一の聖堂だったのだとか。爆心地から500m強。吹き飛ばされた鐘楼は今も丘の下で当時のすさまじさを物語っている。正面にはさりげなく無残な姿の聖人像も。再建された天主堂と同じ敷地で時を刻んでいる。

Urakami_うらかみ
Urakami_Church
past_and_now
The bell of Urakami
statures
statures of Urakami
あめのひもゆきのひも
あの時以来ずぅぅっと・・・
暑いけど・・・
あのときの激烈な熱さは
どぅだったのだろぅ・・・

爆心地の公園の中央には落下の中心を示し慰霊する碑が立っている。その傍らにあるのは先の浦上天主堂にて被爆してわずかに残り、移設された柱。500m離れているのに移転部分含めてわずかに壁が荒野に残されたものの、あとは見事に崩れ去ったらしい。平和公園へ橋を渡る手前、川沿いに降りると当時の暮らしがめちゃくちゃに折重なった地層がガラス越しに保管されている。街中いたるところがこんな状態で、傷ついた人たちがあちこちでうめいておられることを思うと…いたたまれなくなる。けれど、それが忘れてはいけない真実。できたばかりのたった一発の原子爆弾のもたらした世界。

the park
爆心地の公園。中央左手に
爆心地のモニュメント
浦上から移転された被ばくした壁
debri
近くの川辺に遺されている
当時の姿
↑こぉんな公園の水辺の散歩道に

この周辺、平和公園には願いのゾーン・祈りのゾーン・学びのゾーンとして当時を物語るものやモニュメントなどが整備されている。祈りのゾーンには8月9日に式典でおなじみの平和祈念像。昼も夜もそこで平和な世を見守ってる。この地域には当時あった刑務所の塀の跡も。願いのゾーンには様々な小さな平和を願うモニュメントなどが散在し訪れる人に静かにメッセージを投げかけている。

9日に向けて設営中
当時の刑務所跡。
モニュメントがあちこちに。

 学びのゾーンにあるのは原爆資料館や近くの茶色い大きな平和会館(遠くからも確認できた)。山に囲まれた長崎の街は大きな威力の爆弾によって屋外で目につくものはほとんど残らず、余地も少なくて残せなかったかもしれない。が、資料館の中には当時の爆風や熱風、それに伴う火災を物語る展示物がたくさん並んでいる。たしか出口近く…年表には核をめぐる現代の世界の駆け引き?の歴史も書き込まれている。核削減への試行錯誤も刻まれているのだけれど。。。

 実はものすごい駆け足の旅で、念のためタクシーに飛び乗ったのだけれど写真の時間を辿ると改めてタクシーのおじさんに感謝。飛び乗ってから3分で写真で見ていた丘の上の山王神社の片足鳥居を間近で残骸部分まで向かい合わせてもらっている。加えて永井博士とグラバーさんのお墓参りを叶えても資料館から20分ほどで長崎駅にたどり着けたらしい。。このあとのABCC見学への予定を話したうえで立ち寄りを勧めてくださり、道路もそう広くなかっただろうに坂の下で待ってくれた運転手さん。小さいころからずっと頭の片隅で気になっていたABCC見学の集合時間までにちゃんぽんも食べられた。振り返って長崎の駅から稲佐山を写真におさめる余裕もできた。

坂の上の片足鳥居。
あの日の爆風で・・・
近くに残骸が集められている。
残された鳥居と残骸と。。。
永井隆夫妻のお墓参り。
市電が走る長崎。この中を走るのは苦手。。。初めて来たときとってもドキドキした!!
長崎駅前から見上げる稲佐山
本場のちゃんぽん♪

 町を見下ろす333mの稲佐山。倍近い高さのところで炸裂した一発が、ここから見下ろせるほとんどの建物を爆風で吹き飛ばし、閃光であぶり炎で燃やし尽くした。山あいに人がひしめき合う長崎。運転手さんによると高齢化社会に向けて自治会でエレベーターをつけたり、15年近く前でも坂の街の生活が大変になっているとの話だった。地図や航空写真ではなく山の上から眺めると、猶の事どんなにか爆風や炎が渦巻いたことだろうと悲しくなる。ちなみに・・・東京タワーの天辺が333。東京タワーの展望台は120m。皇居のお堀まで2キロ強。浅草とスカイツリーは1キロほど。スカイツリーの第一展望台が350m(第二展望台が450m)。北の地で言うなら函館山も334mなのだそう。因みに…発電所の核のゴミは深さにして300~500mの地中に粘土で覆って埋めようとしている。何につけてもくらしの尺度からはかけ離れたスケールになる核の世界(嘆)。原爆と原子力発電とは核分裂の反応の程度がものすご~く異なるけれど、いずれにしても一筋縄ではいかない世界。もっとたくさんの人たちが考えて知恵を絞ってみんなで生き方を選択していかないと。

333m  稲佐山からの日の出
画面中央辺りが長崎駅
その右手 港沿いに出島
同じく北へ眼をやると
爆心地方面。
およそ2キロの距離。
よ~~くみると
四角く大きな平和会館。
この辺に資料館等々。
稲佐山を下った宿の窓から。
急こう配の斜面にびっちり
長崎は海の傍だけれど坂ばかり
いつだったか・・・東京タワーからみたお台場。3キロ強。
皇居のお堀近くから東京タワー
ここまでの距離が2キロ強。
隅田川沿いからスカイツリー。
1キロほどの距離。
1キロ以内に居た人が
ほとんど生き残れない世界って?
広島も長崎も
2キロ圏内は
爆風と閃光のあとの
火事で焼失。。。
Hakodateyama 334m

 広島のドームの様には遠くから爆心地近くを表すものが見えないけれど、平和会館の大きな茶色い建物が爆心地周辺との距離感を感じさせてくれる。広島も長崎も爆心から2キロ前後は爆風と閃光、それに伴う火災により壊滅的だった。この稲佐山から爆心も2キロほどであり、少し右手にある(爆心から遠い)長崎駅周辺も灰になっている。川から長崎の港へと水を求めた方々のたくさんの亡骸が漂っていったのだそう。永井博士の亡くなられた奥様の溶けたロザリオはじめ様々な遺品を見ても、どんなにひどく広域な地獄絵だったのだろう…と思う。出島をはじめとする古くからの大陸や欧米とのつながりもあり、長崎の故郷に避難した広島の聖職者や三菱の造船所のかたたち等160人以上といわれるかたが二度被ばくする運命となられ、放射線医学に携わり広島の惨状を伝え聞いていた永井博士等々の存在が悲劇をやわらげてきたのかもしれない。けれど、もっと広島と併せて長崎の悲劇もかみしめ、より核兵器を廃絶させ、核の利用・後始末を真剣に考えていける世界に向かえたら・・・と思う。高齢化でどんどんお空へ旅立っていかれている今。直接足を運んでお会いできるのが一番ではあるものの、技術の進歩やコロナで番組や展示の様子も手軽に垣間みられるようになったありがたい面も。戦争への心の壁が低くなっている若い人たちや海外のかたたちにもより多く知って考え直してもらえたらな・・・と切に願う。

核家族化し、介護制度が見た目充実してご高齢の方達が寄せ集められ、しっかりと色々な想いをもって世の中を眺めておられる現実を体験した人たちが若い人たちと交わることがとても減っていると震災後介護施設で仕事をしても感じていた(祖父母と過ごして「お年寄りは宝」と聴かされていたし、今も思っているのだけれど。悲しい昨今の現実。)。秘密保護法や集団的自衛権が顔を出し制度化していった頃、当時80過ぎのお客さんたちもとても戸惑い心を痛めておられた。みんな体験してみんな知っているのが当然と思って語ってこなかったけれど今の若い人たちは何を考えているのだろぅ・・・と。風化してくることをわかっていて…待っていて今こういう時代・世界や国の流れなのだろうけれど(嘆)。

核兵器の現実はなかなか海外では伝えられていない。海外からの原子力技術者たちでさえ、現実を知ることでショックを受けていたりした。一般人であれば尚更かと。凄惨だから見せたくない・見ないではなく若い人たちにも、海外の人たちにもどうぞ本当の恐ろしさをもう少しずつでもいぃから垣間見、武力で対峙する時代ではないことを痛み入ってほしい。

あまりにも時間がなくて走り入って出てきた永井隆記念館。…展示内容が変わっていなければ…緑婦人の身に着けていたドロドロに溶けて固まったロザリオや、博士の著書から大切な心温まる文章が日本語と英語でたくさん展示されていた。研究・執筆・闘病を続けた質素な如己堂(にょこどう)と病床も含めた博士のモノクロの写真も。英語でも書かれている本がいくつもあり、手に取れる人が増えますよぅに。。一瞬の滞在でも特に気になって撮ってきてしまった文章をあえて(いけないと思いつつ)いくつか。英文もあり…どうぞどこかで海外のかたの目にも入りますよぅ。。。

永井博士の過ごした如己堂
最晩年の博士のお姿
博士からの大切なメッセージが沢山。英語分も含めて単行本がいくつも出ています。

見下ろしたら小さな街に見えるけれど、ほかにはない素敵なところが沢山。江戸や幕末にまつわる史跡も、浦上・大浦をはじめとした大きな教会やグラバー邸など西洋を感じる場も。女神大橋を越えて海沿いを行くと神の島教会の傍の海辺でずっと見守るマリア様にも出会えた。

玄関の窓越しに浦上の教会
お休みの日で
ほんとはいけないけれど
記念に1枚ガラス越しに
闇に浮かぶ大浦天主堂
夜の静かなめがね橋
長崎を南へ。南西部沿岸に向かう女神橋。
神の島教会付近の浜に立つ
おおきなマリア様
平和祈念像は昼夜問わず
そこに座って
世の中の平和を願う

九州は本当に山がちな土地。稲佐山の展望台から南を見れば海沿いの集落も。神の島教会の海辺のマリア様もこのあたりに。遠いけれど、いつかまたきっとゆっくりと訪問したい。長崎への新幹線も伸びようという今。ゆっくり歩ければきっとおいしいものもたくさん!どうぞたくさんの方が長崎を五感で味わってくださりますよぅに。なかなか行けない私は…せめてふるさと納税できる仕事を探せて…また長崎のおいしぃカステラをいただきつつ長崎ならではのお仕事にお使いいただける分が出せますよぅに。遠くに居てもそんな平和へのかかわりもできるのはありがたい世の中。遠くのかたたちとも手を取り合って穏やかな笑顔あふれる未来につながりますよぅ。。。